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さて、あちこちではサクラ満開でお花見の季節となっています。本当に綺麗ですが、最近「佐野藤右衛門」さんの記事を読んで衝撃を受けました。佐野さんのお話を読むとソメイヨシノになると花見の芸がないとおっしゃっています。「クローンやから青森で見ても九州で見てもおんなじ」といわれます。そして、最近わかってきた事らしいのですが、木の寿命がせいぜい100年との事です。富山でも松川などのサクラの名所がありますが、もうピークを迎え、将来のサクラの名所として稲荷公園にサクラを植樹してます。(サクラの場合は連鎖があって、野菜みたく、一度植えたところに、植えられない) ところがヤマザクラは400年から500年は生きるし、ヒガンザクラは1000年は生きるそうです。咲き方も毎年違うので本当の花見の楽しさがあるとの事です。昔の日本の植林もそうでした。杉ばかり植え、今では花粉症の原因や、同じ景色!を生み出しています。釣りの世界もブラックバス問題が有名ですが、鮎の放流も、「追わない弱い魚」が問題となってます。海の魚も、放流が盛んですが、気をつけるべきでしょう。最近、中国の漁獲高が増えてますが、これは海藻などを使って魚にいい魚場を作っているからだそうです。海の環境を悪くして放流だけというのはいかがなものでしょう? 魚にやさしい環境が大切ではないでしょうか???
岐阜県根尾村の「淡墨桜」(樹齢1000年)を見て考えたいものです。
3月31日 海狼釣行隊隊長
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幸田露伴、(「五重塔」「運命」)は鱸釣りで有名でした。井伏鱒二(山椒魚)は釣りや特に旅の鉄人といった評価があります。その井伏鱒二の釣りの先生は佐藤垢石という人です。本名は亀吉といいます。井伏鱒二の先生というから、どんな方かと興味を持ちますが、相当にいい加減な人物だったようで努力家でもなく勤勉家でもなく、人生を自由奔放・好き勝手に浪費した男といった感じだったようです。そして、どこか憎めないないロマンチストだったそうです。但し、いい加減な男は、その背景にしばし繊細な神経や知性を持っているといわれています。垢石自身は自分を「釣士」とよんで「釣り師」ではないとしていたようだが、釣りが己を自然に溶融される方法だとしたら、そこに人生のかたちを選びとる志があるのは確かで、当然、釣りをする者は「釣士」たるべきという論理があったようです。垢石は弟子に「釣行というものは、土から生まれたわれわれ、あるいは潮の中から誕生したはずの人間にとって、この自然のふところに還ることでよいのだ」と言ったらしく、井伏鱒二に「自然にとけ込め」とも言っています。やはり、釣人は釣りの面白さもあるが、一番、美しいところに向わせるのではないでしょうか。
朝倉文夫(彫刻家だが、「釣り天狗」を出版)は戦前までの利根の鱸釣りを書いています。鱸釣りは舟釣りが本流で、舟上で茶をたてたり酒をを飲んだりと大名釣りとよばれていました。幸田露伴もそんな釣りをしていたみたいです。風格のある釣りで「競争するなんていうのは嫌い」で、釣りそのものの味と環境を味わうところに釣り全体の面白さがあるといいます。
「月の世界から魚を釣る話。太陽の世界から魚を釣る話」など、どんな事かというと「利根川に月が映っている、そうすると月夜の釣り方は違うのです。ちょうど月が映っている下あたりに針先が行っているようにして釣る。そうすると鱸が針先にかかり、水面上に抜けてエラ洗いそするのですが、魚がはねかえると、小波がたち、月明かりで火花を散らしたように・・・・」
この辺の境地になると、なんか風格が違うといった感じです。
自分たちも、そのような釣りをしたいと思います。でも、大会というのも面白い。まぁ血走ってといった感じでは無く「運動会」や「お祭り」といった感じなんですが!
3月13日 海狼釣行隊隊長 |
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自分は隊長として楽しい釣り人生を送ってもらいたいと思っているのです。タックルを揃える楽しみ、週末に何処に行こうかと胸踊る楽しみ。
釣り場に行くまで景色を見る楽しみ。釣り場についた時の燃える興奮。
魚を追いつづけるたり新たな発見をする楽しみ。星、海、空、空気・・・景色の楽しみ。そして、ヒットした時の興奮。釣り上げた時の喜び・興奮。満足感。食べる楽しみ。それらは、「釣り師」の心ずっと残っています。何年経ってもその時の、魚のライズの波紋まで思い浮かべる、そんな釣りライフを送れたらと思っています。ですから、自分はみんなに安全に釣りをしてもらいたと思ってるのです。ですから、たまに厳しい事もいうのです。数十年経っても、みんなで元気で釣りをしたいのです。
魚釣りをはじめた頃は、大きさや数だけにこだわりますが、沢山釣って行くうちに、魚釣りは1年のうちでも一番いい時期の美しい場所へ連れて行ってくれると知り、感謝の気持と喜びを感じます。そして、心をとらえて離さないようになります。受動的に自然を見るのではなく、自然の中に入り込み何かを感じてくれればと思うのです。きっと美しい心が輝いてくると思うのです。
2002年3月8日 海狼釣行隊隊長 |
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海狼釣行隊は釣った魚は食べています。但し、食べない魚は大事にリリースします。一部、河川のシーバスは匂いなどで食べられないモノもありますが、そういう魚はリリースしています。ウグイ・ボラなども堤防に捨てる方もいらっしゃいますが、我隊では禁止しています。
スポーツの名のもとに釣った魚をリリースしたり、育てて放すことについて、どう考えているかというと、最善の形で保護されて管理されている河川・池の場合や源流の場合は高山植物ではないが至極正当なものと考えています。海のシーバスに関しては個人が食べる数なんかは、たかが知れています。自分なんかは、せいぜい年間30〜50尾程度。黒鯛等は釣り師も多く、シーバス以上に釣られているが絶滅まではいきません。鮎師からみればシーバスも生態系の破壊者とみます(釣り師は勝手なのか)。それよりも海、いや地球の環境の影響の方が魚の生態に問題です。数が釣れればいいという、本来の楽しさをつかみ損ねた精神にあってはいけないような気がします。釣りが古来から世界で趣味ととして存続したのは魚を追う事、釣る事それ自体がおもしろさではないでしょうか?タックルを揃えたり、釣りに行く前のワクワクとした期待感、自然の美しさ・・・。無味夢想な単なる理論的な釣り方や、余分な装飾に情熱をかけて、ただ大きさなど、ややもすると本来の楽しさを見失いがちになりますが、自分の好きな娯楽が楽しくなくなる事が往々にしてあるものです。品位ある本物の釣り師になりたいものです。
2002年3月7日 海狼釣行隊隊長 |
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